会津若松市の下宿・ソースかつ丼は寿へ

故:五十嵐 忠三(提供元:福島テレビ)

福島県会津若松市に 飲食業×下宿 という異色のコラボをしている店がある。
一見、どちらが本業なのか?と聞きたくなるような異業種だが
「寿」には、飲食業としても、下宿としても、数え切れない程のこだわりがあった。

例えば、寿治左エ門(飲食店)では、ソース・肉だけでなく、その保存方法にまでこだわっている。
会津若松の「ソースかつ丼」は有名だが、「煮込みソースかつ丼」を食べられるのは
会津若松市で2店舗しかない。
「自信のない物は出さない。」と、簡単に口にすることは出来ても
人気のあるメニューを、本当にこの理由だけで外せる店舗があるだろうか?
直向きに、真面目に、頑固に、守り続けた味が治左エ門にある。

また、下宿もただ「寝泊りできる場所」ではなく会話があり、笑顔があり、そしてそこに成長がある。
中学生から高校生になり、親元を離れホームシックになってしまうこともある。
そんな時に「遊びにいってこい」と背中を押してくれるご主人(故:五十嵐忠三さん)の存在が下宿生を元気付け、
それが大きな成長に繋がっていた。
「下宿」のイメージとはかけ離れた「寿の下宿」。
ただ一番驚いたのは、下宿業を営むことでご主人自身も成長していたと言う。
気になる方は、下にあるメディア情報欄を是非ご覧いただきたい。

冒頭で書いた質問に答えるとしたら、「どちらも、本気の本業。」
これが、亡きご主人が築きあげた「寿の柱」なのだ。

「新しいものを求めるんじゃなくて、変わらずに守っていきたいんです。」

そう語るのは、現代表の女将(五十嵐七三子さん)である。
ご主人について聞くと
「献身的で生きが良くて明るくて、会津のことはなんでも知っている人だった。」
「そして、誰よりも優しく、情の深い人でした。」
ご主人が亡くなった当初は、お店や下宿をどうするか、何度も何度も考えたと言う。
ただ、女将の出した答えは「自分の体が動く限り、お父さんの築いたものを守っていきたい。」

ご主人が築きあげた「寿の柱」
それを受け継ぎ、守り続ける女将と、その家族。
会津にきたら是非、寿にしかない暖かさを感じて欲しい。

メディア情報

会津若松市追手町のそば屋「寿治左エ門」。
背広姿の男性たちがそばと酒を楽しむ店内に、制服姿の高校生たちが期末テストの話をしながら入ってきた。ねじりはちまき姿の店主五十嵐忠三さん(60)が「おかえり!今日はハヤシライスだ!」と声をかける。
五十嵐さんは2000年、そば屋の傍ら高校生向けの下宿屋を始めた。現在18人いる生徒たちは朝と夜、店で食事をとる。
初めは下宿生用ホールに食事を用意した。だが、部活などで生活スタイルが違うため一人での食事も多い。01年のある日、下宿生が「一人はさみしい」と料理をお盆に載せ店に現れた。これをきっかけに、店での食事が始まった。五十嵐さんは「それから、悩み事など小さな変化がわかるようになった」と感じている。ホームシックになった高校生に「遊んでこい」と小遣いを渡したこともある。
会津地域は学区が広いうえ、県立高19校のうち5校が同市に集中。このため、下宿する高校生が多い。県教委が昨年行った調査では、親元を離れて暮らす高校生は136人。最小のいわき地区16人の8倍強だ。
今も昔も下宿先での食事は、専用の食堂で取るのが一般的だ。だが、南会津市出身の高校3年の女子生徒(17)は「前の下宿は一人で食べることが多かった。ここは家のようで楽しい」と、大人に混じっての食事を楽しんでいる。
「食事を通して成長を見守りたい」。五十嵐さんは、そう語る。
(2008年6月30日 読売新聞)
私は会津若松市内で下宿業を営んでいます。生まれて初めて親元を離れ、下宿生活が始まり、毎日学業や部活動に励み、ついこの前まで何もできなかった子どもが、下宿先では不慣れな手つきで洗濯機を回し、弁当箱を洗ったりと慣れないながらも頑張って生活しています。
中にはホームシックにかかってしまう子どもさんもいます。
そんなときは、誰が教えるわけでもなく、毎年、先輩や同級生のみんなで励まし、勇気づけて自然とホームシックを回避し、すぐに元の元気で明るい笑顔を見せてくれます。
私もこの年になって、子どもたちとかかわり、生活をしている中で、たくさんのことを子どもたちから教えてもらってます。
今年も志望の大学に無事合格して旅立って行った子どもたちがいる一方で、高校に入学する子どもたちが入宿してきました。
「ようし、また三年間、一緒に頑張るぞ」と気持ちを新たにしています。
(2010年4月16日 福島民報)
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